カエデノオト

カエデのある家の住人のノート。いろいろごちゃまぜ、これが私。

2017年の母の日に

おかあさんありがとう、と言われるポジションに立って10年。

去年あたりから娘が、お小遣いを持って100均に行って、ちいさなプレゼントを選んで買ってきてくれるようになった。

カードもラッピングもなく、レジ袋のまま渡すのが彼女らしい。そんなでもなんだか誇らしげな態度で「はいっ」とやるのがなんかおもしろい。

どうってことのない108円のものなのに、ものすごく特別な宝物のように感じるから不思議。たぶん一生処分しないと思う。

私はけっこう年をとったほうのおかあさんである。もう少し若いおかあさんのほうがよかった、と、ダイレクトに言われたこともある。どうにもならないことだから、言われるとちょっと悲しい。

でも、確かに産むのは遅かったが、それまでの自分の人生に後悔はない。ほら、だって、あんなことこんなことを経験してから親になった、その回り道は決して無駄ではないはずだもん(と言い聞かせている)。

さいきん、娘を産むまでの人生がやや長かったことについて、決してマイナスばかりではないな、と思えることが少し増えたように思う。

私よりひとまわり若いお母さんより、ひとまわりぶんたくさんいろいろな経験をしていて、たくさん娘に伝えられるということだ。

まだ素直に母の話を聞いてくれるお年頃。よかったことも後悔も、たくさん伝えられる。人間の、というか女性の老いもね。女性として、産む時期を考えることが難しいけど大事だということや、若い頃のニキビつぶすとこうなっちゃうのよとか、カラーやパーマかけて、お手入れ怠ると髪の毛がこんなふうになってねとか、そういうこともけっこうリアルに伝えられるww

そういうのをいっぱい吸収して、思いどおりにならない人生を受け止めてしっかり歩んで行って欲しいなと思う。

母としての思いはそんなかんじだ。

一方、娘としての思いは、この年になっても相変わらずである。というか、娘が成長すればするほど、自分が同じ年頃だった時代を思い出し、その当時の母親を思い出し、もやもやが未だに消えないでいる。